はつ夏の少年の居る庭なりき


あの頃は、まだ沙羅の木も若く、さるすべりだって細くて低かった。
そうそう、満天星の六本が揃って咲き美しく。

写した枇杷の葉を見たら、
少年という時期の姿を思い出していた。
この家へ越して来た頃。




5月6日(土)





紅ワイン三つのグラス莢豌豆


女どうしの夕食。

不思議な句になりました。
が、あの雰囲気にピッタリなんです。

AさんとBさんは初対面、なのに、楽しい会話になって。
合うだろうな、と思ったわたしはうれしくなり‥‥

美味しい食事会でした。

5月8日(月)





勢ひや川沿ひの葉桜の道


信州で八分咲きの桜を見た後だから、
曇り空にも明るい葉桜に、「あっ」と声が出そう。

やはり、もう夏なんだから!

5月9日(火)





約束に遅れてしまふ額の花


三転したから、となぐさめてはもらったものの。
携帯のスケジュールには最初の日が書いてある‥‥
とても楽しみにしていたことなのに、二人を待たせてしまった。

それでも、予想通りに素敵な時を。

5月11日(木)





生垣の茂り番犬吠えるほえる


突然、大きな犬の影が見えた。
激しく吠えられて、びっくり。

この家に、わたしも住んでいたんだけれど、それはむかし。
あの庭でわたしが飼っていたのはシェルティーだった。
今はあまり見かけない犬。

5月12日(金)





新じゃがやふるさとの土つけしまま


fuさんから送られて来た。
三瓶のじゃがいもは美味しい。
でも、今年fuさんは足の怪我で、植えることも掘ることも出来なかったはず。

きっと、漁師さんの作品!
いただきま〜す。
5月13日(土)





母の日はカクテルひとつ枇杷色の


むかし、小学生のあの子は小さな鉢植のカーネーションをくれた。
もうすこしむかし、中学生のあの子はコーヒーカップを。

ずぅ〜っとむかし、中学生のわたしはチョコレートで作ったケーキを母に。
一緒に食べて下さったお隣のおばさま。
二人とも、最初で最後の母の日のプレゼントだったのかもしれない。
その笑顔を想い出した日。

母の年をうんと過ぎて、あのおばさまの年も多分越えて、
今夜のわたしはカウンターに座ったりなんかして‥‥♪

5月14日(日)





かたつむりすとんと赤いランドセル


これで二度目かな。
わが家へ「ただいま〜」って。

5月15日(月)





捩花よのびておいでよ雨の降る


天気予報は明日も明後日も雨マーク。
木の葉も茂るし、草も芝も伸びる。

数本のピンクの花を、この数年見ないから‥‥

5月17日(水)





乱舞せり音と光と走馬灯


レインボーホールでのコンサート。
「八千人のみなさま!」と、さだまさしさまはおっしゃった。
二十年ぶりの彼のコンサートで、わたしはしばし茫然‥‥

七十人のオーケストラ!
ねえ、あのマリンバが好きだったんですけれど。
いらっしゃるのはいらしても、あまり聞えません。

暗さの中に幾筋ものライトのすごいこと、三つのスクリーンには、さださん三人もアップで。
妹さんも歌うし、夏川りみさんもサンシンを弾いての熱唱で。
‥‥わたし、さださんの歌とトークを聞きに来たんだけどな。
それでも、神戸のアカペラ、「チキンガーリックステーキ」はなかなかにイイ!

グレープ再演もあったけれど、「無縁坂」も「精霊流し」も好きとは言えなくて、
「フレディ」が聞きたいと。
ま、歌もすてきですが、なによりもあのお話がたのしい。

アンコールの二曲目、つまり最後の曲が大好きだった曲。

  梅雨のあと先の トパーズ色の風が〜♪

この曲ばかりを聴いていた頃‥‥なにかと大変だったのに懐かしい。

5月18日(木)





雨に晴また雨の夕真鯵煮て


ベビーリーフや胡瓜などのサラダ。
肉じゃが。
そして、鯵の煮付けとかき玉汁。

外食がふた晩つづくと、こんな食事にほっとする。

5月20日(日)





ティータイムことに華やぎ花菖蒲


初めて伺ったお仲間の家。
明るくて広々として。
女性ばかりの話はたのしい。

セーラー服の中学生が「ただいま!」と。
いいな、大きなお孫さんも。

5月22日(月)





題名の右より書かれ緑雨かな


『像肖のイレグ・ンアリド』
    作ドルイワ
    譯次孝村西

なんですよ、例えば。
古い古い岩波文庫です。

午後、まだ置いてある父の小さな本箱の前で、
要らない!と決められない、同じことの繰り返し。

どうするんだろう?わたし。

読む?
いいえ。

処分するの?
さぁ。

このまま?
‥‥

この文庫本の本棚だけは置いておくんだろうな。

5月23日(火)





風鈴の音を聞きたし母恋し 


話してみたいことがある。

答えてほしいこともある。

5月25日(木)





おつかいに走って来た子青あらし


風が強いけれど明るい日。
今年は額紫陽花がとてもたくさん咲いた。

花を写してから、今朝は見なかった『純情きらり』をBSUでと付けていたら、
「ほら、出てたよ〜!」と中日新聞の番外編ホームニュースを持って来てくれた。
わたしは他の新聞を取っているので。
あ、何が出ていたかはナイショです。

「いま見てるの? きらりはね、ちゃんとピアノを弾くよ、朝見たんだから」
「うん、それを見たいのよ」

で、主人公は聞いたばかりの曲を弾き、アレンジをして‥‥
とたん、です。
彼女はエレクトーンで同じメロディーををチラと奏きはじめました。

わたしには、そのあとの台詞は聞えなくなりましたけれどね。







5月27日(土)





茉莉花の二輪の色の淡くなり 


数日前から二輪だけ咲いていた。

もう植木鉢では弱って来ていた木を庭に植えたのが昨年の梅雨の頃。
冬を越して、芽吹いた時は嬉しかった。
紫陽花の下で目立たないから蕾があることにも気付かなかった。

むらさきの花が白くなりかかったのが今日でよかった。

5月29日(月)





肩パッドまた付けてみる若葉風


この数年、パッドがいやでカーディガンも軽いジャケットもなしにしていた。
ところがふと、薄いのを付けてみようと‥‥

針を持つことが億劫になっているのに、始めると楽しい。
窓からの風がやさしい。

5月30日(火)





素足にてけふのひと日を過しけり 


六月。

朝から暑さを覚える日。
何気なくストッキングを履かなかったら、そのまま。
予定していた外出も止したし‥‥

6月1日(木)





麦笛の音ひびき来る土の道


ネット句会に出したもの。

兼題の「麦笛」から思い出すのは子供の頃。
松山の中心部に近い住宅地だったのに、一角だけ畑があった。

中学生から小さな子まで、なぜかその辺りで遊んでいたような。
麦笛を吹いていたのは、大きなおにいちゃん達。

その後は麦笛の音を聞いたことがないと思う。
田園地帯で育ったその後のわたしなのに。

そして時が過ぎて、やはりこの街の田園地域で育った息子たちが居たのに。
あの頃には麦畑はなかったのかもしれない‥‥

6月3日(土)





冷奴固し遠山あはく見ゆ 


つづいてこれも句会より。

五月初め蓼科からの帰途、林檎の花を見たくて松川で降りた。
そこから飯田の知人の勧めの蕎麦屋へ。
お蕎麦も美味しく、黒大豆の豆腐やおからは、また食べに行きたいくらい。
お店の名は「屯」という。







6月4日(日)





ソーダ水頼みしJAZZを聴くために


一ヶ月以上になるかもしれない、この店。

独りで行って、しばらくは知り合いと話していたけれど、
演奏が始まったらテーブルを移って。

頼んだのはジンジャーエール。

帰りにはなぜか二人。

6月6日(火)





雨に浮き出でて一輪沙羅の花 







6月9日(金)





沙羅白し朝ごとに花の数多し


6月12日(月)





梅雨湿り味噌倉に味噌の香は満ちて


「純情きらり」の放映も三ヶ月目になると、
八丁味噌の工場には観光バスの数も増えたようで、
なぜか、今日はこの街に住むわたし達もその見学に。

風通しも良くしてある味噌倉には、こんな大きな樽が並んでいた。

八丁味噌ソフトクリームが人気があって、わたしも買った。
辛いのかしら?と思ったけれど、ほんの少しの風味だけ。
むしろ、牛乳だけのよりはこくがあって美味しかった。





6月13日(火)





荒梅雨やサルサを踊る異国人


突然、すぐ傍で踊りだした人。
それまで静かに座っていたからおどろいた。

白いシャツに黒いスーツ、スキンヘッド。
「王様と私」のユル・ブリンナーをふと思い出したけれど、
あれが踊なのかしら、と思うほどの迫力。

‥‥好きではないわ。
−連俳より−6月15日(木)





明易しセントレア空港滑走路


セントレア・ホテルの窓の午前五時。
今日、わたしはイタリアへの飛行機に乗ります。




6月19日(月)





ガレリアに湧き上る聖歌夏真昼


丸一日ほとんど眠らないでミラノへ。
ホテルへ着いたのは十九日の夜遅く。
初めてのヨーロッパ、そして初めてのツァーの旅だが、
連泊の日は自由行動を申し出ている。

朝食後、ガレリア前で解散。
ドゥオモへ入り、ステンドグラスに感動し、それからガレリアへ。









6月20日(火)





ゴンドラの揺れを梔子見下せり


舟遊びハミングのみにゴンドリエ

サンマルコ広場各国人の汗

涼風にマスカレードを二つ求む







万緑やヴェローナの古き石だたみ




6月21日(水)





草いきれここは異国の無人駅


ゆっくりした朝食。
フィレンツェの近郊のホテルからは電車に乗ってみる。
ホテルの車で送ってもらって、突然、草原で下ろされた。
屋根とてあるのかないのかのホームには、イタリアのオジサンが大荷物で一人。
「いっしょに乗ろう!」と言う‥‥らしい。
わたしのガイド(?)はその荷物を持って上げて。









これは途中の乗り換えのホーム。
どうやらおかしいと思ったガイドは可愛い女の子に訊ねたら、
「次で乗り換えなきゃ!」と。
30分も掛からないでフィレンツェ中央駅へ。








電車の中の彼女のおすすめで先ず駅近くの聖母寺院を訪れた。
美しい静かなセント・マリア・ノヴェッラ教会。
印象に残っている。

写真は撮れなかったので、これはガイドブックから。







その近くの、サン・ロレンツォ教会にも。
回廊が涼しさもあり、素敵だった。

この画像もガイドブックのもの。











お昼は和食でと思っていたので、タクシーでアルノ川を越えて。
目的の店はクローズしてしまっていたから、通りで教えてもらったイタリア料理の店に変更。
"Dante"という大きくはないけれど、ちょっと風格のある店で美味しかった。







それから街の中心部へ戻り、どこをどう歩いたのやら。
広場の市で黄色っぽい帽子を買った。
歩いている内に暑くて熱中症になるのかしら?と‥‥
Barでジェラードを食べたところで治まらない。
冷房の効いたサヴォイ・ホテルへ入ってお茶。
あゝ、わたしはこういうところが好き!




ウフィツィ美術館へは行きたいと、一人は歩いて行き、わたしは時間を見計らってタクシーに乗った。
ほんと、笑われそうな距離だったけれど、これ以上炎天下を歩けないと思ったから。

この日の気温は37℃だったとか!!!








美術館は長蛇の列。
すぐに諦めて広場で、大道芸人のパントマイムやギターの演奏を楽しんでいた。
偶然並んで腰掛けたのは、大阪からのご夫婦。
フィレンツェでの大阪弁が嬉しかった。
「うちらも、もうどこへ行っても暑いし、ここが一番ですわ」
ということで小一時間。





涼しい風も吹いて来る頃に、アルノ川のほとりを歩く。
小さな店が並んで時に入ってみる。
おみやげにと可愛いレターセットや七色の色鉛筆などを買う。
皮細工の店があり、バッグに惹かれたけれど見るだけにして。








これが、彼のポンテ・ヴェッキオ橋。
渡ってはみなかった。
眺めながら食べた西瓜の美味しかったこと!









夕食は和食に。
サヴォイのドア・ボーイ一押しの「絵伊都」に決めて。

イタリアの食事は合うけれど、なんとなく、ほっとする思いも。







6月22日(木)





夏野原ゆけばアッシジ白く在り








この旅程で惹かれたひとつはアッシジだった。
わたしはクリスチャンではない。
洗礼を受けようかと思った少女期はあっても、それは熟さないままに来てしまっている。

何十年か前に、わたしの父は「Natsu no Tabi -欧米遊草-」という歌集を作った。
一ヶ月以上の旅行は、まだ一般には珍しい頃のことだった。
その中にある三首の歌がわたしの中に深く沈んでいたようだ。

  五十年前逝きし妹が魅せられし聖フランシスのアッシジここは

  をとめにて逝きし妹が憧れし聖者の里を今しわが過ぐ

  中世のままなる家の白壁のならべる見えてアッシジの町

父はバスで通り過ぎただけだったらしい。

わたしが生れるずっと前に、その叔母はどうしてアッシジのことをそこまで慕ったのか。
その想いを抱いていたから、あの炎暑の坂を、階段を、登って行けたのかもしれない。

瞬時ではあっても、わたしは心から祈った、聖フランチェスコの棺の前で、その叔母の代りに。

オリーヴの園に囲まれたところだった。


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−アッシジの前に立寄ったシエナ−

−カンポ広場−

6月23日(金)





笠松の高く並びてローマなる





−ガリヴァルディ広場より−

なにゆえ、にか、
いきなりこのガリヴァルディ広場です。

ローマを一望する丘だと、昼食を摂った“Hasekura”で教えてもらったので行きました。
ランチにお鮨をいただいたのに、こんな句をメモしていました。

「支倉」とふ日本料理店麦茶旨し

ビール?と思うようなガラス瓶に入った麦茶でした。
こんなの売ってるんですね。

ガリヴァルディ様の銅像も立派でした。




そのあと、ヴァチカンへ。
ここでの写真は、モデルにならないモデルが居ますので、ね、載せません。

ローマの第一印象は、昨夜着いた時にも見たふしぎな姿の背の高い松!
至るところに聳えて、木陰も作っていました。






夏の夜の煌きあれはサンタンジェロ





とつぜん、ですが、夜の部です。
とても美味しかった“Il.pastellaro”のお食事のあと、「わたしのローマの休日」をしてみたのです。



若者の群れてトレヴィの泉には







コインを投げた?
いえいえ、とんでもない!!!

スペイン広場へは午後の暑い盛りに行きました。

6月24日(土)





はろばろと暑きローマに今ふた日








わたしの家の前の道もローマへ続いていた!‥‥なんて。

フォロ・ロマーノなどを炎天下に歩き廻って来たのはわたしのガイドさん。
感動したらしいです。

わたし?





前日のお昼頃のこと、ちょうどこの辺りを歩いていました、ヴェネツィア広場です。

階段の向う、右側のカーヴした歩道。
そこで、突然右足が一段落ちて捩れ、痛みが走りました。
数分はしゃがんだままで、骨折!と思いました。
やっと立ち上がり、足が動くことは確認して捻挫と判断したのですが‥‥
四角い石だたみの一つが1/3ほど欠けていました。
あれだけの人が歩くのに、街の整備はそんな風なローマでした。

炎昼のヴェネツィア広場に捻挫して

なんとかタクシーに乗り、昼食は「支倉」で食べて、
びっこを曳きながら予定になかったガリヴァルディー広場へ行き、
ヴァチカンとスペイン広場へ。
そのあとはホテルへ戻ってサロンパスとエレキバンを貼り、安静にしていました。

右足の痛みやはらぐ昼寝覚

ということで、昨夜も出掛けましたが、
今日は、歴史的場所とはいえ炎天下の廃墟を見に行くことはないと、
ホテルで半日おとなしくしておりました。
一人でイタリア語のメニューでお昼もいただきましたし。
(小さな字で英語も書いてありました)

“Can you speak English?”
ホテルのウェイターに訊かれて、“Yes, a little”
京都からのご夫婦に説明してほしい、などと言われ、通訳(?)したりして♪

おかげで、翌日の、ローマとパリの飛行場では、ほとんど普通に歩くことが出来ました。


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さて、涼しくなっての夕方からは、もちろんお出掛け。
ちょっとこわそうな、でもだいじょうぶな街を歩き、目指すはこのリストランテ。

ムール貝の大皿にびっくりし、
シーフードのリゾットの美味しかったこと!


−公園に面したテーブル−

−ローマのワンちゃんはどれも大型でした−

−ムール貝(一人前)−

6月25日(日)





七月の三日月さがしてゐるあの子


7月1日(土)





夏芝やフランスワインで乾杯す


7月4日(火)





梅雨晴間旅の写真を送られて





−名古屋のOさんより−

ローマからカプリへというコースは参加しなかったわたし達へ、
「青の洞窟」の写真を届けて下さった。

カプリ島にはずっとむかし憧れていたけれど、
その憧れはあのメロディーに寄せていたい気持が大きい。

7月8日(土)





昼食会青葉の中に迎へられ


友達の全快祝の食事会に招かれた。
珍しいことに、会場はゴルフ場。
まだ新しいザ・トラディションはおとぎ話のお城のようでもあって。

7月12日(水)





頭から食して寒狭川の鮎


同郷の五人で夕食を。
その一人が釣って来た鮎は、まだ大きくない、わたし好み。
初対面の若い人も同窓ということで、旧知のような。

7月13日(木)





夏蝶の舞ひ集へるは現にて


蝶と見えたのは女性だけ、ということにしておきましょう。
殿方はもっと頼もしくお見受けいたしましたので。
‥‥実はこの句、帰ってから撮った胡蝶蘭の写真を見て作ったものなんです。

「増殖する俳句歳時記」十周年記念会に参加いたしました。
素晴しい一日でした。

詳しいレポートは佳音さんにおまかせ、ということに♪
「蛍」兼題の句会でもダントツ一位の、とっても人見知りな‥‥?方。

わたしの「蛍」は光りませんでしたが、
三択クイズではトップ!(三人でしたけれどね)
頂いた賞品のボールペンです。





7月15日(土)





夜濯やビーズ飾りの音がする


今夜初めて来たサマーセーターはアイボリー色。
飲み物が少しこぼれて気になりました。
帰ってから直ぐにさっと洗って干したのですが、
スパンコールやビーズがいっぱい付いていて、洗面器の中できれいな音がしてました。

−連俳より−7月18日(火)





床下より猫の出てくる梅雨晴間


チーコは七歳。
八匹の仔猫の中では可愛くない方だった。
なぜか、チーコだけがこの辺に残って、昨冬から目に見えて弱って来ている。
放って置けなくて、やわらかいキャットフードを買っている。

暑さが厳しくなってから、なぜか元気な様子。
芝生が荒れるけれど、なんとなく半分わが家の飼い猫に‥‥

7月22日(土)





風鈴の音のいろいろや百貨店


普段使いのグラスを買いに食器売場へ。
レジ近くの柱に数個の風鈴が揺れていた、いや、送られる風で揺らされていた。
リンリン、チラチラ、と音が重なり合って、他のフロアより涼しく思う。

グラスの他の物も選んでいた。

7月23日(日)





白シャツやひとつの夢の生まれつつ


白いTシャツを送った。
「増殖する俳句歳時記」の記念会で、ジャケットの下は散らし文字のTシャツの葱男さん。
なをさんもご自分の句とブルーの模様のTシャツだった。
葱男さんの作品とのことで、「わたしも!」とお願いした。

わたしが好きな材質でもよさそうなので、いつもの店で白無地のを取り寄せてもらった。
レーヨンとポリエステル混紡の七分袖だから、真冬以外は着られる。

葱男さんのお仕事の月下村の和服を着せていただくことは、いつか、いつか、にして‥‥

7月24日(月)





一日をどこへも行かず水羊羹


と、書いたあとで、出掛けました。
若い人たちのジャズ・セッションの場所へ。
若いことはいいな、そう思いますね。
ベースの女の子が居て、サックスの子も居て。

7月27日(木)





しばらくは正座してみし夏座敷


八畳の三間を通して、南から北へ風が抜けて行く‥‥
この暑い日でもエアコンはなくてもよさそうな。

マンションのわが家とは大違いの、友達の家で。
そう、麦茶の冷たさを好もしく感じる。

7月29日(土)





伊太利亜を少々皿に夕焼雲


六月の旅で一緒になった方と、イタリアン・レストランで夕食。
近くと分って、そういう約束だったので。
彼女はピッツァを、わたしはリゾットを。

「オリーヴ・オイルをね、何本か買って来たんですよ」
料理もお得意らしくて。

ドルチェは桃のコンポート。
わたしのお皿には黄色の花が。
彼女のお皿にはオレンジがかった花。





7月31日(月)





八月や画展の友の絵に風が


この古い建物で、絵画展は今日から始まった。
友達の絵を以前は必ず写していたけれど、今日もデジカメは持たなかった。
もう、見るだけで良いと思う。

とにかく美しい色!
誘った友達が言っていた。
「あの方の絵には風が流れているみたい‥‥」

その言葉が、わたしにはとても嬉しかった。





8月1日(火)





語らひの午後にはさるすべり白く


8月4日(金)





遠花火桜古木の上に咲き


家の庭からは、ほとんど花火は見えない。
隣の屋根の横にほんの少しだけ。
    音のみの華やぎてをり遠花火
などと、携帯メールで送ったけれど。

ちょっとドライヴしてみても、道路からは見えない。
戻って、家の前の細い道を下ると、一ヶ所だけに円に近い打上げが見える。
わたしが好きな、色の深い花の桜の樹の手前から。

写真はこの上なく華やいだ昨年の花火。
‥‥来年はまた見に行くのかも。





8月5日(土)





迎へらる夏うぐひすのそのアリア


清里へ。
涼しさにほぅっとして。
窓からは風といっしょに、今まで聞いたことのない美しい鶯の旋律が流れ込んで来た。

‥‥アリアというよりは、自由に歌い上げてスキャット?
8月6日(日)





ゆるやかに流るる一日秋隣


午前中の気ままなドライヴで先ずこんな光景を見た。
親子連れで乗って楽しそう。

藁の上に座って、子供たちの笑顔。
幸せそうなママさん。
そして、もっと嬉しそうなのがカメラを持つパパさんたち。






わたしも愉しかった夜は、こちらで。
8月7日(月)


Spring